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6月28日「カフカの城」

こんばんは。

初めてお会いした方に良く聞かれるのは、好きな監督っていますか、なんです。

「元々連ドラ好きなんですよ」
「仮面ライダーとガンダムにやっぱり影響受けてますかねえ」
「21世紀の映画しかほとんど観ません」
「『四ヶ月と三週と二日』大好きです」
「『美しい人』ってなんでか惹かれちゃいました」

その時に思ったことを言うんですが、好きな監督を聞かれてサクッと返事できないってどうなんですかねえと。

で、ちょっと考えたのです。
で、監督ではなくハネケ監督の『カフカの城』って感銘受けたなあと。

なのでこの映画について書きます(笑)

俳優の演出がまず抜群やなあと。
マジックリアリズム的(荒川アンダーザブリッジ、みたいな変な世界とその世界に迷い込んだ主人公の物語)になるんかなあと思いきや、主人公も変という。
要は世界自体が壊れている。

だけど、ずっと惹きつけられるんです。それは登場人物なりのリアルがそこには存在している気がガツガツしてくるから。
映画って実は穴ボコだらけなんです、ほぼ全ての作品が。だけど、その穴ボコが気にならないのがリアリティを伴った映画な訳で。そのためには登場人物の体中から滲み出るその世界への説得力が必要だと思います。

普通、映画は嘘を隠そうと努めるものです。
でも『カフカの城』は嘘を隠さず、そのまま並べて行きます。
ちょっと「ん?」って思ったりしても自分がディテールを見逃しただけなんかなあ、とかいう気分になる。それは俳優と演出のタッグが成す《その世界の説得力》なんやと思います。

まあ俳優はたまったもんじゃないですよね。点と点を線にできない。点を点のまま表現してくれと言われるようなもんですから。
例えば人を好きになるとする。そのためには必ずその《理由》もセットで表現されるはずです。
「この瞬間、彼女の言葉に共感するんだ」
「自分と似ているなあって思ったんだ」
その《理由》が存在しているのがドラマ(物語)です。

しかし、それができない。
「この台詞から急に好きになるんだ」
この場合、俳優は《理由》を紡ぎ出せません。それが『カフカの城』における俳優がした《演技》です。

一見、ただの不条理映画です。俳優は頭でなく、体でただ《反応》することを要求されているとも言えます。
しかし、つくづくこれが《映画》だなあと。

カメラで撮るのが映画なので、それには圧倒的な客観性がくっついてきます。
カフェで隣の席のカップルを見るように、そこに至る物語や内なる感情などカメラには映らないんです。だけど、おそらく隣の席の人の体からは人生(ここに至るまで)が滲んでいる。
それが映画の中の世界です。

映画って凄く曖昧で凄く誤魔化しばかりで作られてて、なんか詐欺っぽいですね(笑)
ふと思いました。

でもそれを『カフカの城』は全て分かっていながら作られている気がしてなりません。
俳優という役割も。
うーん、驚きます。

あと、《歩くシーン》が素晴らしい。
僕はただ歩くだけというシーンの持つ妙な魅力に魅せられた人間なので、これまた驚きです。

ただ上手←→下手に歩く横の姿を追い続けるだけなんですが、見入ってしまう。
前後の映っていないシーンとの兼ね合いを巧みに利用して、観客に映っている画面の何倍もの情報や他の画の残像を重ねさせるんです。
綺麗な画面を撮ることができる人は多いですが、90分の連なる画面の残像を利用して映画を作る人はそう多くないと思います。
監督ってここを心掛けて作るもんなんですよね。

まあ、そんなことも考えながら『適切な距離』は撮りました。映っている何倍もの情報が込められたワンカットの連続が映画やと思います。

では。
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2012-06-29 : 大江日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

6月25日「誕生日会」

こんばんは。

先日、『適切な距離』脚本の菊池開人の誕生日でした。んで、お祝いしました。



まっちゃん、は菊池の本名より。松平阿保吉って本名だからです。
はい、おもんないですね。

もっといい写真があったんですが、載せません。
ロゼのスパークリングワインの栓をポーンと抜いたのがあるんですが、載せません。
その後ビール掛けのごとく部屋にワインが吹き出し、床やマットが一面ピンクに染まって菊池が呆然と立ち尽くしたのですが、切な過ぎて載せません。

菊池とはなんか縁があります。
大学で知り合ったのですが、こいつがいるのといないのでは大きく僕は変わったんじゃないかと、誕生会の帰り道に思いました。
書く物語も面白いですしね。

今は新作の『クジラの骨』というサスペンス調の映画の物語を考えてもらってます。

「深海の底にあるクジラの骨は光っているんです。発光する微生物が群がって栄養を取っている。やがて栄養を吸い付くしたら骨と共に微生物も消えてしまう。まるで深海は都会の夜のようですね」
ってな感じの冒頭から、物語は夜の都会へ消えた少女を探して彼女のケータイの痕跡を辿るという展開を見せます。
詳細はまた次回。

菊池の書いてくる物語が楽しみです。

では。
2012-06-25 : 大江日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

6月24日「コーヒー」

こんばんは。

喫茶店でコーヒーを頼むと何も入れずに飲むのですが、この前は砂糖とミルク(フレッシュ)を入れてみました。



混ざり方か面白いですよね、コーヒーとミルクって。

映画『適切な距離』でも喫茶店のコーヒーは物語の鍵になります。
僕の映画ではコーヒーが良く出てきます。喫茶店で向かい合った二人を撮るって何かドラマの醍醐味だなあ、とか思っているんでしょうか、僕は(笑)
見えない部分を描くのに向かい合った二人って凄くいいんです。しかも喫茶店は公共の場。プライベート空間ではないので、場に冷静さがついてきて言葉を交わすことに妙な緊張感をプラスしやすいといいますか。

まあ、何よりコーヒーって存在自体が大好きですが。

そんなコーヒーを飲むシーンでの人と人の交わす言葉と交わされなかった言葉を感じて頂ければと思います。

『適切な距離』は9月1日~14日、連日21:00より新宿K's cinemaにてレイトショー公開!
是非お越し下さい!

では。
2012-06-24 : 大江日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

6月22日「iPod nano」

こんばんは。

電車で時々、外国の方(欧米の方)が近くに座っていることがあります。
彼らを見ていると、だいたい何故かiPodで音楽を聞いているかiPhoneをいじっています。偏見ですかね(笑)

そして良く見ると、「これはいつの時代のiPod nanoやねん!」と突っ込みたくなるような古いというかあまり見ない形のやつを使っていて驚きます。

日本人って新しいもの好きなのか、新しいものを使っているような気が…。
欧米の方って古い電化製品を凄く使い続けるイメージがあります。

これは街の景色と関係があるのやろうか、といつも思うんです。
いつかのブログでも似たこと書きましたが、日本って街の景色が変わるのが本当に早いんやなと。地震大国ですし木で家を作ってきましたから、レンガよりもろくてすぐに修繕の余地が生まれるのが原因やろ、って勝手に考えています。

その新しいものへの対応こそが日本の魅力だろ、とか。

偏見ですが、不安定が永久に消えない人生をいかに楽しむかも大事かもなあとか、なかなか暖かくならない初夏の夜に思った次第です。

では。
2012-06-22 : 大江日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

6月15日「若い子」

こんばんは。

最近20歳前後の若い人と話す機会が増えまして、話していると自分との違いを感じます。

特に集団で話す訳ですが、内容ではないんですね。ただ言葉を投げ掛け合うということを繰り返すだけが前提といいますか。

言葉が身体性に特化しているということなんやなあと。
よく言われていることなのですが、目の当たりにすると「へえ~」って感じてしまいます。おもろいなあ。

ニュートラルを作って自分をさらけ出す。だから緩いんですが、自分の弱さを隠さない(いやむしろ隠せない)彼らを見ていると興味が湧きます。

だって僕がそうではないコミュニケーション(言葉のやり取り)を求めているのを察して、蛇口を少し締めるみたいにモードを少し変えるんです。
これも直感的に。

これができるって言葉の意味や価値が大きく変わるってことではないかなあと。
何となくわかり合うってことができるんやろうなあと。

僕もそれが人と人には大事やと思うので、やっぱり「へえ~」となる訳です。

では。
2012-06-16 : 大江日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

5月11日「ヒップホップとロック」

こんばんは。

昨日、批評家の渡邉大輔さんとKINEATTICの橋本侑生さんとお会いしました。
『適切な距離』の公開が9月1日に決まったということで、ちょっとお話をしたいなあとお誘いした次第です。

お二人とお会いすると、シネドライブのUstのことの思い出します。その時のご縁でこのお二人に多大な刺激を頂きました。

話は「映画」ってどうなって行くのやろうということから始まり、ロックとヒップホップの違いについて展開しました。
『サイタマノラッパー』や『サウダージ』がヒップホップを映画に落とし込んでいて、これは表現がコミュニケーションや身体性を重要視しているからだと。
かたや、ロック的表現は衰退の一途を辿っていて、それは『家族のうた』という連ドラが内容が悪くないにも関わらず史上最低視聴率だったということも象徴的だなあと。

ロックはハスに構えて孤高を目指すもので、逆にヒップホップは集団と言うか仲間というか、外に向けて直接アプローチすることが中心である訳だと思います。

またロックは一次創作(オリジナル)崇拝主義で、ヒップホップは二次創作(ミキシング)を主としている気もします。
そして時代は二次創作的な断片を脊椎反射的に感じることへと移行しているのやなあと。
映画人はガチガチのロックな人が多いのが見ていて痛々しい、とかいう話になりました。
ゴダールは昔からマッド動画の発想で映画を撮っているはずやのに。

話は時代の象徴のことに及び…。
AKBはウィキペディア的でももクロはマッド動画的だという渡邉さんの意見にハッとしました。
どちらもしっくりくる例えやなあと。
皆で積み木のように情報を足し算して行くウィキペディア的AKBも、乱雑に転がっている瞬間の爆発力を楽しみ続けるマッド動画的ももクロも、大衆の欲求をそりゃ満たす訳やなあ~。

僕はAKBは熱闘甲子園で、ももクロはプロ野球珍プレー好プレーやと思うのですが、それよりもっとわかりやすい例えでした。

橋本さんが嵐とももクロは空気系やと言ったのに笑いました。ふた組ともメンバーが素朴に仲良くしている姿を眺めるのが微笑ましいと。
なるほど~。

では。
2012-06-12 : 大江日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

6月8日「見えない部分」

こんばんは。

Appleのスティーブジョブズが昔こんなことを言っていました。
「私は自分がしてきたことと同じくらい、してこなかったことに誇りを持っている。イノベーションは1000もの物事にノーということなのだ」

世に出て行く事象って多分イエスと言った物事だけだと思います。でもその裏には数限りないノーが潜んでいることばかりです。

映画を作っていて、映画監督の最大の仕事はOKを出すことだと言われます。
でもそのポジションに携わってみてつくづく感じるのは正解が絶対に一つではないということです。
だけど、不正解のものは見極められます。ノーを積み重ねて行った先にイエスが見える。ノーを全て除いたもの、その瞬間その選択しかできなかったものがいつも観客へ届くワンショットへとなって行きます。

このイエス(OKショット)って良く見るとノーも含まれているから面白いと思います。意地悪な言い方ですが、僕は映画でイエスよりそのノーを見ている気がしてなりません。

だから僕はいつも「映画で一番大事なことって何を撮ったのかではなく、何を撮らなかったのか」だなんて格好付けて話すのです(笑)

ご静聴ありがとうございます。
では。
2012-06-08 : 大江日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

tekisetsu

Author:tekisetsu
映画『適切な距離』

2012年9月1日(土)~14日(金)連日21:00~新宿K's cinemaにて公開が決定した大江崇允監督最新映画『適切な距離』公式blog。第7回CO2にてシネアスト大阪市長賞(グランプリ)。主演の内村遥が男優賞受賞。断絶した親子関係。生まれなかった弟と母の幸せな生活。久々のコミュニケーションは、母の嘘の日記だった。

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