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事実と物語、客観と主観

こんにちは。

映画はフィクションなのかドキュメンタリーなのかという根本的な問題を抱えています。

劇映画は嘘だと信じがちですが、ある場所である人間にカメラを向けているという時点で、この世に存在する何かを撮っている訳ですからドキュメンタリーと言えます。
また、ドキュメンタリー映画は被写体を24時間何も意図なく撮り続けることはできませんし、どうしても省略を強いられますので、その省略でどうとでも持って行ける、作家が存在するフィクションと言えます。

この問題って実は僕達が生きていて、当たり前に横たわっているそれと酷似しているのかなって思いました。
先日、僕の大好きなミュージシャンが薬物所持で逮捕されました。
そこで今まで自分達の聞いていた曲は薬の力で作られた黒い創作だったのかと悲しんだとします。(まあ、あんまり僕はこういう感覚にはならないのですが、これは例です)
何故悲しいのかというと、事実が書き換えられたからです。
だけど、その事実をドンドン掘って行くと、彼は本当に創作に対して苦しんで、期待してくれる人々を裏切らないために作り続けなければならない、その苦しみとずっと共に生きていたことが浮き彫りになったりします。
そうすると、また事実が書き変わります。

時々、「事実」というものが答えであるかのように感じることがあります。
でも、その事実すら感傷的な書き換えによって変化するんだと忘れがちになります。
僕は自分の中で物語を作って、その中を生きているんだなって思います。

フィクションとドキュメンタリーの対比って、物語と事実、主観と客観、自分とそれ以外、なんてのと同じかなと。

僕は自分から抜けることはできません。それはつまり、物語から抜け出すことが出来ないということです。
教科書に書かれている世界の歴史も、誰かが書いた、事実に近づこうとした物語でしかないのかなと。

…と、考えて行くと、映画はフィクションでしかないのかなあ。
どこまでそれらしく作っても、全ては何枚も張られたフィルターでしかなくて、それをどう感じるのかという物語に還元してしまうように思います。

逆に言えば、感じる、とは存在しない物を存在しているように見せる、とも言える気がします。
例えば、星がたくさん空にあって、存在しない線を引くことで星座を作る。これに似ている気がします。

それが○○性って言葉に派生して行きます。
感じる、とはこの「性」って言葉かなと思います。

リアリティってこの「性」とか「感」ってものだと思います。
事実や現実を描くことはできませんが、現実感を描くことはできます。
みんなが当たり前のように感じていることを物語に加えることで、物語が自分達が生きているこの世界と同じになって行く。

映画は嘘ですが、やっぱり嘘だから観客の心にある真実に触れることができるんだなとか、毎度同じところにたどりついてしまいます。

では。

あ。そういえば、今年のはじめに舞台の演出をしました。
その風景をスタッフの方に頂いたので、アップしたいと思います。

そして、僕がシナリオを担当している『エヴェレットコード』というスマホRPGが絶賛リリース中ですので、よろしければ遊んでやって下さい。iOS版のみですのでiPhoneの方は是非に。無料です。

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2014-05-26 : 大江日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

イメージの蓄積

こんばんは。『適切な距離』監督の大江崇允です。
また時間が経ってしまいました。

写真と映画はやっぱり違うなあと思います。
映画は動画なので、写真にならない画と言いますか、それ一枚では完結しない画の積み重ねによって映像イメージを観客に体感していただくものだなあと。

例えば、こんな感じ。

シーン10 喫茶店(夜)
男がジッと席に座っている。

なんてシーンがあったとします。
映画において、この一枚の写真はなんてことないシーンなんです。
だけど、シーン9で人を殺していたら、はたまた不倫相手とラブホテルから出ていたら。
そうするとこのシーン10は意味が変わってきます。

映画って、多分こういう映像の連続性をどれだけ理解しているかなんだろうなと。
観客は映画が始まった瞬間から終わる90分後まで、倍々にイメージが頭の中に膨らんで行きます。
シーン1が「1」だとすると、シーン2では「2〜5」、シーン10では「100?」になっていると思います。
逆に言えば、シーン10で観客の脳を「100」にまで膨らませていれば、それは非常にすぐれた映像になるのではないでしょうか。
観客にとってどうでもいい情報やすでに知っている重複、面白くない糞ドラマは「1+1=0.5」になってしまうと考えていいと思います。
効率よく観客の脳を刺激し続けるのが大切です。

だから、時になんてことない男女の恋愛(出会いから別れ)のシンプルな映画に涙する訳です。
物語とは、つまりは事件ではなく、映像の蓄積なんです映画にとっては。
人が活き活きと生きていれば、その映像の蓄積が映画体験に昇華されるはずなんです。

写真は時間を閉じ込める表現ですが、映画は時間を垂れ流す表現です。時間芸術です。

そういうことを考えながら、創作をしているんだと思います、映画を作っている人たちは。

では。
2014-05-05 : 大江日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

tekisetsu

Author:tekisetsu
映画『適切な距離』

2012年9月1日(土)~14日(金)連日21:00~新宿K's cinemaにて公開が決定した大江崇允監督最新映画『適切な距離』公式blog。第7回CO2にてシネアスト大阪市長賞(グランプリ)。主演の内村遥が男優賞受賞。断絶した親子関係。生まれなかった弟と母の幸せな生活。久々のコミュニケーションは、母の嘘の日記だった。

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