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レビュー『適切な距離』/桝井孝則監督

誰も真似できない世界観と俳優演出で観る者を興奮させ続ける映画作家の桝井孝則氏(『夜行』など)より、適切な距離レビューを頂きました!


『適切な距離』によせて 桝井孝則

ゆったりとゆれながら カメラが人物を捉えていく しかしそれは安易に 心理効果をねらったものではなく 世界の虚構をあらわそうとしたもののように思われる ここ10年ほどを見ても 閉塞をテーマとした映画は多数作られたが そのほとんどが自分自身に対しての距離しか表現していなかった つまり距離というよりは 目的としての自己である しかしこの適切な距離は それらの映画とは違い 対象が目的ではなく 距離自体なのだ なぜなら 閉塞は自分自身だけで完結することができないからだ 関係 近いゆえに遠い この適切な距離を測るために 介されるのはノート という構造はおもしろい 他人のおもいを覗きみる スリリングさがやがて 見られることを前提とし 相手の反応を待つことになる 母の望みと そのことに反撥する青年 ただ没頭し 足跡を残すしかない まるですべてが母親に仕組まれたかのように

やがて 希望をつくりはじめると その希望もすぐに母に飲み込まれる お互いに 自己の保護のために対象が作り上げられ 構造は複雑化する ある程度でも感情を表すことの出来る母子と際立って 遠い 父と弟という存在 それぞれに比重を置く二つの存在が 柔和で対するもの全てを包み込んでしまうような キャラクターとして描かれているのは 偶然ではないはずだ あの画にかいたような 二人がかもしだす安定感 危うい安定感に集中が解かれてしまいそうになるが 待ちうける急降下のために このなだらかな傾斜は必要なのだ そして 自らの味方として作り上げたはずの存在が 自分自身に対して反撥する時 四人が顔を合わせることになる ただし 主人公自身はここでも 空間を引き裂かれた距離をもって

この見事な切り返しの後 監督自身はたぶんそぎ落としたかったであろう一連によって 作品自身がバランスをくずしてしまう ノートを焼却し終えるまで 映画が映し出すのは今までどおりの距離ではなく 一個人に近づきすぎた 憂鬱と自己の世界 ここに罠があるのかもしれない 閉じられたノートから連想する ここは現実の世界だ というダブルイメージ 主人公の心情を掘り下げるには 母親は空想として登場するしかないのだ しかし この合間に母親をきちんと示さなかったことは この映画の唯一の欠点ではないかと やはり思う 対話はしなくてもいい ただそこにいる彼女を捉えさえすれば それでもあの素晴らしいラストカットが待っている

現実と虚構をさまよいながら 人々は動く 声色や表情 しぐさという 人間の感覚に直接入り込んでくる情報をしっかり押さえ これだけ踏み外さなければ 軸はぶれない と核心を持って そこにいる人たちと意見を出し合いながら ひとつひとつを高めていく ラストの声にならない声と その間合いが示す お互いの距離の取りよう これが大江崇允の演出なのだろう 


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2012-02-24 : レビュー『適切な距離』 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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tekisetsu

Author:tekisetsu
映画『適切な距離』

2012年9月1日(土)~14日(金)連日21:00~新宿K's cinemaにて公開が決定した大江崇允監督最新映画『適切な距離』公式blog。第7回CO2にてシネアスト大阪市長賞(グランプリ)。主演の内村遥が男優賞受賞。断絶した親子関係。生まれなかった弟と母の幸せな生活。久々のコミュニケーションは、母の嘘の日記だった。

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