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小説版『適切な距離』 第七回(完結)

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7.

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5月3日

父に会いに行くことだけが、日記を書く楽しみになっている気がする。

大学は単調だ。高橋は広告代理店の内定を2つ取った。

お祝いに酒を飲んだよ。心から祝福できてしまったことがかえって落ち込んだよ。

だって僕は、就職活動すらしていないのに。

自分の将来に危機感が持てないんだ。

と、父に相談した。

今日は少しドライブをした。父の街を。

川沿いの道をゆっくり走った。

テニスコートで、小学生の大会が開かれていた。

父はまっすぐ前を見ながら、

「やりたいことが見つからない時は、じっとしているより動いた方がみつかるよ。」

と言った。父は僕に甘い。そう思う僕は、本当はしかられたいんだろうか。

「とりあえず、卒業も油断できない状況やから、それに専念してみる。」と言うと、

父は「うん。」と肯いた。

父の街は穏やかで、美しかった。

川沿いの道を行き、

ランニングをするおばさんや、ギターの練習をしているカップルなどとすれ違うと、

自分が卑屈になっていく気がする。

美しすぎて、鼻に付く。

僕は大分やつれているのだろうか。

父の横顔も穏やかだった。

「今週、また面接の受け方をレクチャーしてもらうねん。行きもしないくせに。」と言ってみた。

父は穏やかなまま、「付かなくていい嘘は付かない方がいいよ。」と言った。

「怒らへんの?」と聞くのはやめた。

負い目がある以上、父は父として僕と向き合えない一線があるのだ。

家に帰ったのは終電になってしまった。

母は既に寝ていた。静まり返った家を歩く足音が、とても耳ざわりだった。


***

5月5日

休み。回転寿司で済ます。

昼から礼司は父の元へ行った。

ドライブをするらしい。

短気で運転が下手だったので、不安。

帰宅した礼司は、自分も車を運転したいと言う。

楽しかったのだろう。

家に車があれば、買い物も随分楽になる。

免許は合宿に行けば1ヶ月ぐらいで取れるという。

就職活動が落ち着けば、それも良いかもしれない。


***

5月10日

母の日記が、以前の場所に戻っていた。

内容を追うと、父を無断で使用していた。

母にとって、父だけは天敵のようなものだと思っていたのに。

優しい父親なら、礼司にも必要なのだ。

というのが全てだ。個人的な感情より自分の日記の中の礼司を喜ばせたいと思っているらしい。

以前よりも、そういう母に嫌悪を抱かないのは、僕もまた自分の日記に依存しているのだろうか。

母の日記の中でも父は優しいようだった。

今日も父とドライブをした。

母の日記にあった、短気で運転が下手というのは、本当なんだろうか。

そう言われれば、ドライブ中、一度だけUターンをしたとき、父の運転は荒っぽい気がした。

なんだか、母と父親を共有したようで、妙な気分だ。

日記の向こう側が、繋がってしまう気がした。

母の部屋には、礼司のために買われたスーツがぶら下がっている。

それを見ても何事も無く、ああ礼司のスーツがあると思える。

母の日記から立ち上る礼司の気配を、いつのまにか受け入れている。

いずれこの部屋に、父のネクタイやらも置かれるのだろうか。

怖いようで、嬉しいようで、奇妙な感じだ。


***

5月27日

昨日、母が礼司のために2着目のスーツを買ってきた。

すでに礼司の存在を隠さなくなったように母は僕の見ている前で堂々とスーツをケースから出し、ネクタイの色を合わせたり、シャツの組み合わせを確かめたりしながら以前買っていたスーツの横にぶら下げた。

僕は何となく早朝から目が覚めて時間をもてあましていた。

母は泊まりの仕事だったので思いつきでスーツを着てみた。昨日買ってきた新しいほうを。

双子の弟用だけあって、サイズも丁度良かった。

そのまま大学の入学式以来仕舞いっぱなしだった革靴を見つけ出し、街を歩いてみた。

もう一着のスーツをケースに入れ、そのまま電車に乗る。

適当な金額で適当な駅を目指す。

特急車両の4人席が空いていた。

僕はそれに座り、向かいの座席にスーツケースを置いた。

窓の外を見る。それに飽きると向かいの座席を見る。

そこには礼司がいるような気がする。

僕と同じ顔で、僕よりもきちんとスーツを着こなす礼司が。

礼司は僕に、「いつも見守ってくれてありがとう」などと言う。

そういえば、礼司の中で僕は死んでいたんだった。

僕の中の父が、良き父に上書きされていくように、

実際の僕は母の日記の僕によって上書きされる。

礼司と向かい合い、会話をする。

父のことや、大学のことを。

主に礼司が話し、僕が相槌を打つ。

礼司と向かい合うとき、僕は亡霊になる。

「こうして一度、話してみたかったんだ。」などと言われると、

「僕もだよ。」などと返してしまう。

そしてそれが何だか馴染んでしまう。

本当は礼司が実在して、僕はただその近くを漂っているだけだったんだろうか。

シックスセンスのように、僕が亡霊であることを知らないのは僕だけなのかもしれない。

そういう事を考えて、終点まで乗った。

引き返す電車は人が多くて立ったままになったが、僕の横には自然と礼司が居た。

家に帰り、スーツを戻しても礼司の気配は消えず、

代わりに僕があるはずの無い仏壇へ帰らなくてはいけないのだろうか。

などと思った。


***

6月7日

母の日記の中で、父が家に招かれていた。

先を越されたようで、悔しかったが、

父が、遠慮がちに家に上がり、

酒に酔い、泣きながら謝罪するくだりを読んでいると僕も一安心する。

礼司は今度斉藤さんを紹介するらしい。

父は僕の仏壇に酒を注ぎ、深々と頭を下げて帰っていった。

母の描写する父の方がさすがにリアリティがあり、今更僕が書くよりも、

僕はただ仏壇の奥で見守っているのも悪くない気がした。

日記の中の家族が幸せになっていくのが、僕としても嬉しいような。

そういう気がしていた。


***

6月23日

当分、日記を書くのをやめていた。

面倒になったわけでは無く、自分で書かなくても良くなった。

母の日記の中で、父は息づいている。

母しか知らなかった父親の色々な部分、愛煙家だとか、しいたけが食べれないだとか、

そういう取るに足らない情報が肉付けされて、僕は読むだけで父と会っている気がした。

礼司は健康器具メーカーから内定をもらった。

お祝いを兼ねて、母、斎藤さん、礼司、そして父を招いて家で食事会を開いた。

僕は相変わらず仏壇に居る。

僕は本当に幽霊、もしくは守護霊のような気持ちで日記を眺めていた。

礼司の心配をしたり、父と母を見守っていたり日記の中の生活が楽しげで、

そこに傍観者として参加する事で、僕は満足だった。

今日は高橋と飲んだ。久しぶりだった。

亡霊では無い僕の久しぶりの日常だ。

高橋は、また熱く語る。

卒業前の最後の公演で高橋は演出を任されていた。

演技論を振りかざしやる気の無い役者を叱責する。

いつもと変わらない高橋が、ものすごく大人に見える。

懐かしいようで新鮮だ。僕が取り残されているだけなんだろうが。

高橋は、まだ内定の一つも取っていない僕を心配する。

僕は「選ばなかったらあるんやろうけどなあ。」などと、嘘を言う。

僕を励ます高橋を見て、初めて罪悪感のようなものがハッキリと感じた。

いつからか、嘘を付くときは礼司を借りることしていた。

礼司であればどう言うのかどう応えるのか。そう想像すれば速やかに嘘がつける。

僕は仏壇に帰り変わりに優等生の礼司が高橋と飲んでいる。

高橋は、同窓会の話題を持ちだした。

小学校の頃の同窓会があるのだ。

先週、案内状を高橋経由でもらった。

僕はまだ行くか行かないを決めていない。

高橋は副幹事のようなものを任されていた。

参加者集めに苦戦しているらしい。

「安東は?」と聞いた。

「ああ、来るよ。なんで?」と言う。

「昔好きやったからなあ。」と素直に言う。礼司ならおそらく、そう言う。

「それは知らんかったなあ。彼女も、参加者集めに手伝ってもらっててさ、この前、打ち合わせであったけど、すっごい美人になってたで。」

と高橋は言っていた。

僕は緊張や興奮を気付かれないようにそれとなく、「まあ、参加するよ。」としれっと言った。


***

7月12日

同窓会に行った。

参加者集めに苦労してると言っていた割には僕が会場に付く頃には広い居酒屋の2Fは人でごった返していた。

高橋は満足気に僕の横に来る。

そして僕の袖を引き、遠くの席を指差す。

安東が居た。あか抜けて、綺麗な大人の女性になっていた。

「後で、話し掛けにいこうや。」と高橋は不敵に笑う。

ほぼ出席者が揃った所で、高橋が乾杯の音頭を取る。

ビンゴゲームやら、学年の人気者だった者達の冗談やらで同窓会は盛り上がっていた。

僕はそれなりに参加者と話しながら、目の隅では安東を追っていた。

催し物が終わり、司会だった高橋が僕の横に来る。

既に出来あがっていて、顔が上気している。

高橋は自分のカバンから、卒業公演のチラシを出す。

そして身近にいる者達に渡していく。

僕にも付いて来いと目くばせして会場を歩く。安東のほうへ。

この男はどうしてこう色々と上手く立ちまわれるのだろうか。と尊敬する。

僕と仲良くしていてこの男は何が楽しいのだろう。不思議な男だ。

安東は少し酔っていた。高橋が話しかける。

参加者がいっぱい来てくれて良かったと二人でねぎらう。

高橋はチラシを見せる。興味深そうに安東は眺める。

見所などを解説しながら高橋は僕を見る。

お前も話し掛けろという合図のようだ。

しかし僕には話しかける話題が無かった。

高橋は僕と安東を二人にするように隣のテーブルへ移っていった。

安東の方が耐えかねて「雄一君も出るの?」と話し掛けてくれた。

僕は「いや出ないよ。」と短く答えて、「久しぶり。変わったね。」と言う。

「そう?みんな変わったよね。」と安東は言う。

そこで途切れる。会話が続かないのは僕が必要以上に緊張しているせいだ。

それではいけないと話しかける。

僕もこれには出ないけど前は芝居とかしてたんだよ。と言う。

安東は驚き「そうなんだ。」どういう芝居してたの?と言う。

「まあ、シェイクスピアとか。自分で書いた作品も上演したりしたよ。」

「自分でって、台本も書いたの?」

「うん。」

「凄い!どんな作品?」

「えっとね、まあ、現代劇なんだけど、、、」

と言う途中で会場から歓声が上がった。

高橋が皆の前に飛び出す。会場に先生が現れたのだ。

当時は怖かった体育の先生がすっかりおじいさんになっている。

皆は大きく盛り上がり、安東もそちらの方へ体を向けていた。

先生はさっそく高橋に挨拶を求められニコニコしながら、呼んでくれたことの感謝を述べる。

安東はすっかり僕を忘れてるようだ。体も完全に先生の方を向いていた。

上気した鎖骨が見えた。僕はそこに釘付けになる。

とっさにほくろを探してしまった。

そしてほくろがなかった事に僕はかなり動揺した。

今更になって、あの安東はこの安東とは違うのだと思い知ってしまった。

先生の挨拶が終わると、安東はカメラを持って先生に歩み寄っていった。

その時、渡していたチラシがテーブルから落ちる。

思わず、あっと声を上げる。

しかし安東は振り向かず先生の元へ行った。

僕は拾い上げたチラシが恥ずかしくなり、慌てて自分の席まで戻りカバンに慌てて押しこんだ。

くしゃくしゃになってしまった。

喫茶店で待っていたのは安東じゃ無い。

当たり前の事なのに、それを分かっていない自分が惨めだった。

僕は先生の前ではしゃいでいる安東と、今でも喫茶店で待っている安東のどちらに会うつもりでここに来たんだろうか。

僕はいつから、こんな気持ち悪い人間になったのだろう。

同窓会が終わり、更に酔い、テンションの上がった高橋は僕を強引に2次会へ連れていこうとする。

僕はとにかく帰りたかった。

しかし、高橋は強引にカラオケ店まで僕の腕を引く。

途中、安東を見つけ、また強引に2次会まで連れていく。

高橋は、安東に、「雄一は、小学校の頃、安東に憧れてたんやって。」と言う。

僕は惨めで泣きそうになる。どうしてこんなに居たたまれない気持ちになるのか分からなかったが、とにかく僕は家に帰りたかった。

安東はにこにこ笑って「全然知らなかったー。」と言う。

それを聞きつけた周りがはやしたて、帰るに帰れなくなる。

カラオケ店に着くと、当然のように高橋は、僕と高橋と安東を同じ部屋にした。

高橋はさっそく歌いだし、安東はにこにこと笑っている。

僕は話しかけることもせずに、高橋の歌う姿を眺めていた。

歌い終わった高橋は、次の曲を入れていない僕らに毒付きながら世間話をする。

安東は外大へ行っているそうだ。

高橋は更に内定の数が増えていた。

そして、就職の話になる。僕は冷や汗が出た。

これ以上、今日はもう自己嫌悪をしたくない。

高橋は数ある内定の中から、出版業界を選ぼうと思ってると言う。

安東も大手出版の内定を取っていた。

安東は僕に聞く。

「決まった?」

僕は黙ってしまう。礼司を呼んでいた。僕ではもうこの場を乗りきることは出来ない。

僕はもう亡霊として逃げ出したかった。しかし礼司は出てきてくれない。

礼司もまた今、同窓会に行っているのだろうか。母の日記で。

礼司なら高橋のように上手くこなしながら楽しんでいるだろうか。

せめてそれを読みたかった。今すぐにでも。

でも目の前の安東は「どうしたの?」と言う。

高橋が気を使って冗談を言う。

僕は仕方なく、

「自分が何をしたいかわからないんだ。」と言う。

安東が申し訳なさそうにする。

僕はつい、「まあ色々受けながら見つけようとは思うんだけど。」と言ってしまう。

しらけそうになるムードを振り払うように高橋は歌を歌う。

僕の好きなバンドの曲を入れ、僕にも歌えと言う。

僕はただ歌った。前向きな歌詞に心で毒付きながら。

間奏中、

同じ業界の話題で高橋と安東が盛り上がっていた。

続いて安東が歌い、その後高橋が歌い、僕は喉が痛いと辞退し、酒に酔ったふりでカラオケが終わるまで眠った。

目を閉じる間際、再び安東に目が行く。

そこには悲しげな顔でグラスを持て余す安東はおらず、楽しげで高橋を見ている安東が居た。

綺麗な顔をしているが、待ちわびていた安東では無い。

僕はやっぱり、喫茶店に居る安東に会いに来ていたのだ。

僕の中でいつの間にか、喫茶店で待つ女が存在してしまったのだ。

いつまでも来ない僕を待ちつづける、特徴的なホクロを持つ女が。

今まで、恋人と呼べるような女も居たがすぐに失った。

つまらない男だといつも僕は切り捨てられた。

僕は、僕を好きになってくれる女性が欲しかった。

僕の捨てるに捨てきれない煮えきらない願望を喫茶店の安東は代わりに受け持ってくれていたのだ。

来るはずの無い僕を僕の代わりに待っている。どこまでも一途に。どこかの片隅で。

なんて幼稚なんだろう。浅はかで気持ち悪い。

母の日記の中では、父と礼司が楽しそうに生きている。

彼らもきちんと生きているのだ。

出来そこないの僕と、子宮から出てきた毛や歯が生えた肉の塊の弟と、

コタツの天板を母に投げつけ肋骨を全て叩き折った父を、否定するために。

母も幼稚で切実にそう願っている。

最初から分かっていたのに、僕の家は、僕も、母も、全部終わっていたのだ。とっくに。

何を僕は信じようとしていたのだろう。

僕はどうして間に受けてしまっていたんだろう。

そのくせ、さっきまでかたくなに信じていたくせに、どうしてこんなにも脆く信じられなくなるのだろう。

安東が僕に興味無いからだろうか。高橋がうらやましいからだろうか。

僕は現実でも亡霊のようだ。

僕は寝たふりをしながら、泣いていた。

ばれないように寝返りを打って。

陽気な歌が聞こえていた。

現実は厳しいなあと思う。僕の思いどおりになんか何もならないなあと思う。

それならそれでちゃんとそう分かっていればよかったのに。

始発まで2次会は続いた。

寝ぼけた顔で皆それぞれ帰っていった。

母はすでに仕事へ出かけていた。

母の日記を読む。

案の定、同窓会を楽しみ、思い出話に花を咲かせる礼司と母が居た。

日記を捨てようと思った。僕のも母のも。

焼いてしまって、何も無かった事にしてやろうと思った。まずは僕のを。

日記を手に取り破こうとする。

年賀状が出てきた。日記に挟んでいたのだ。

未来の自分へ向けた僕からの手紙。

「10年後のぼくへ、10年後のぼくはまだ日記をかいていますか」

普通に日記を書いてれば良かった。僕はそれを望んでいたはずなのに。

破る前にこれまでの日記を読み返してみた。

全くどうしようも無い毎日だ。特に架空の父と会いだしてからは読んでられなくなる。

僕は日記帳を破いた。父に会いに行きだした日から。

簡単にゴミになってしまった僕の日常が悲しかった。

母の日記も破る前に読み返す。

礼司との生活。これを書く事で母は満たされていたんだろうか。

礼司は僕の代わりに母と上手くやっている。

虚しいと思いつつも、それにすがる母の気持ちが痛いように分かる。

4月12日の日記に目が止まった。

礼司がまだ2歳の頃。

私を殴ろうとする父の前に、立ちはだかって私を守ったことがあるのよと伝えた。それだけは知っていてほしいから。

礼司は覚えてないよと言いながら照れていた。


おぼろげだが何となく思い出す光景がある。

怒鳴る父親と泣く母親が居て、僕はその間に割って入った。

そう言えばそういう記憶がある。日記を読んだ時は思いださなかったが、確かにこれは事実だ。

僕の2歳の時の話だ。

母は嬉しかったのだろうか。

礼司とは、優しく育つはずだった僕なんだなと思う。

礼司を励ますように書かれていた、テストが良い点であるように。良い就職先が見つかるように。健康でいられるように。

読み返せば、母の日記はそう言う言葉ばかりある。

礼司の生活を充実させるように、やっきになっている。

母の日記を破るのはやめておいた。

これは、母のささやかな幸せで、希望なのだ。

ただ、そこに僕は登場できない。

この家には礼司が相応しく、僕の席は無い。

母の部屋にリクルートスーツがかかっている。

不気味ではなく、今はただ悲しくなった。

散らばった自分の日記を読み返した。

「そんな相手に一体何が話せるん。無理やで。もうあれとの関係は完全に終わってる。見てないんやもん。僕のこと。」

「雄一とお母さんが、そうなってしまったのは、お父さんのせいなのかもしれん。」

「だけど、お父さんに今出来ることは無いから、それは2人が何とかしないといかんのやと思う。」

「色々問題はあるんやろうけど、まずは、会話をした方がええな。」

「お父さんと話してることを、お母さんにも話してみたらええ。」

父が僕に言う、僕が言うべきだった言葉がある。

破られた日記を拾った。かろうじて残った数ページに今この日記を書いている。

日記を使いきろうと思った。

ここが最後のページ。

書き終えたら、もう日記を書くことも無い。

僕は家を出ようと思った。ここにいるべきでは無い。

母のためにも。僕のためにも。

僕に時間は残っているのだろうか。

明日、高橋にもう一度、面接の練習をしてもらおうと思う。

まだ少し、ページに余白が残っている。

最後に、礼司と父に、さよならを言おうと思ったが、

言葉が出てこなかった。

これ以上書くべきものが見つけられず、余白の部分だけポケットにしまった。

***

4月7日

残りの余白に。

実家から春物の服が届いた。

届いた事を報告するために、電話をかけた。

「届いたわ。」と言う。

上京して初めての電話だった。

「声暗いな。仕事、きついんか。」と母が言う。

「まだ一週間やから。わからんよ。」

「朝、遅刻したらあかんで。」

「せんよ。」

「風邪引かんように。」

母の声を聞くと無条件にいらだってくる。

僕は手短に切ろうとした。

「じゃあ。まあ、また。」

「ああ。無理せんように頑張りや。」

「うん。服、ありがとう。」

電話を切る。

実家から高速バスで9時間かかる。

知りあいも誰も居ない土地にいる。

900キロ離れてやっと、励ましと感謝を言えた。

どうしようも無い親子だなと思いつつ。

今度日記を書き始めるときは、もう少しましな日常になってることを祈って、

この日記帳を終わる。
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2012-02-25 : 小説版『適切な距離』 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

tekisetsu

Author:tekisetsu
映画『適切な距離』

2012年9月1日(土)~14日(金)連日21:00~新宿K's cinemaにて公開が決定した大江崇允監督最新映画『適切な距離』公式blog。第7回CO2にてシネアスト大阪市長賞(グランプリ)。主演の内村遥が男優賞受賞。断絶した親子関係。生まれなかった弟と母の幸せな生活。久々のコミュニケーションは、母の嘘の日記だった。

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